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@東伊豆
東伊豆の大動脈は、言うまでもなく、R135ですが、はるか昔から今の姿だったわけではありません。


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R135の宇佐美にある御石ヶ沢トンネルの脇に、今は使われていない洞門があります。
ここは普段は入れない(入りにくい)のですが、この日はこの洞門に通じるルートが開いておりました。
倒木があるので、バイクで入るのは難しいですが、歩きなら簡単。

道幅は4mくらい?
これではトラックが来たらすれ違えません。
でもこれが現役だったころは、何とかしてたのでしょうね?

それにしても、思うのは、坑門の造形。
いつのころからか、こうした遊び心が失われてしまったのです。
最新のトンネルなど、味もそっけもないです。
みなさん、街に出るときはお洒落に大なり小なり気を使いますよね?
こういうものだって同じです。
末永く公衆の場に姿を見せるわけですから、ちょっとお洒落したっていいじゃないですか。




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河津手前のいつもの秘密スポットにて。
ここでコンビニ弁当を食べるのが長年の習慣です。
海を見、波の音を聞きながら食べれば、コンビニ弁当が何倍もおいしく感じます。
小さな幸せですが、大事なことです。






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( 2019.04.15 ) ( ツーリング ) ( COMMENT:0 )
笹子峠越えツーリング・・・・vol.2
前回の続きです。


R20から一本外れた脇道に入っていきました。
原集落です。



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原公民館と、火の見櫓です。 《MAP
なかなか魅力的な取り合わせですね。

火の見櫓は現地では気が付きませんでしたが、後から知った話だと、銘板がついてて、昭和29年のものだということと寄進者の名前が書いてあるらしいです。
銘板? 付いてましたっけ?
と思って写真を見返すと、たしかに正面についてるじゃないですか。
見落としてたのです。
前回の記事で書いた、鳥沢の火の見櫓と同じく、次回はちゃんと確認してくるつもりです。

この火の見櫓は、特に変わったところはないのですが、屋根の軒先の装飾がちょっと珍しめ。
今まで見てきた中では、そもそも装飾が無いか、ある場合は「蕨手」(わらびて)という、くるっと巻いた装飾がついてるパターンが多いです。
蕨手は、よくお神輿の屋根の軒先についてることが多いです。
しかし、この火の見櫓は軒先が角のようになってます。
お寺の屋根とかで見かける形なので、寺社建築の用語の解説をネットで調べた結果、どうも「隅角」(すみづの)と呼ぶようです。




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原公民館から少し西に行くと、もう一本、火の見櫓がありました。 《MAP
銘板がついていて、平成2年に渋沢鉄工所が作ったものだと分かりました。
平成2年??
今残ってる火の見櫓の多くは、昭和30年代に建てられたものが多いそうなので、その建設ラッシュから20~30年ほど後ということになります。
法的な設置義務はないはずですから、たぶん自主的に建てられたものだと思います。
リング式ブレースや屋根の風向計や蕨手風の装飾など、あえて昔風の意匠を意図的に採用しています。
また、半鐘まで付いてます。
法的義務はないですから、建設費の補助などもないでしょう。
費用はおそらく、住民もしくはゆかりの方、それから地元の企業などからの寄付によって賄われたと思われます。
何か強い意志をもって建てられたものだと感じられました。
どういう経緯や想い入れがあったのか、お話を伺ってみたい気がしました。




集落を後にし、R20をさらに西へ。
笹子トンネルの手前でR20を外れ、山道に入っていきます。


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ちょっと走ったところで、この物件に遭遇。
ネットではこのバスそのものについての情報は見当たりませんでしたが、カラーリングなどから見て、山梨交通が昭和50年代に導入した、いすゞのバスらしいです。




さらに峠道を上っていきます。




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笹子隧道に到着。
写真は大月市側の坑門。
登録有形文化財になっています。





この笹子隧道は、1938年(昭和13年)に開通し、その後1952年(昭和27年)に国道20号線に指定されたそうですが、ここに至るまでの道路が狭くて曲がりくねっており、このトンネルも幅が3mしかなく、まとまった交通量をさばけるようなものではなかったそうです。
それはこの写真を見ても明らか。
幅3mではクルマ同士のすれ違いは無理。
軽自動車とバイクなら何とかなるかなというレベル。
なので、当時は山梨から首都圏に出ようとすると、御坂峠を超え、河口湖に出て、そこから大月に出るという、かなりの大回りコースがメインだったそうです。


試しに、甲府駅前から八王子駅前までのルートで比較してみましょう。



これが、河口湖経由ルート。
距離は121㎞あります。
御坂峠もけっこうな難所ですね。
御坂隧道は幅5.5m。
トラックと普通自動車なら、ぎりぎりですれ違えるでしょうか。





こっちは笹子隧道ルート。
距離は98.7㎞。



ということで、御坂峠越えの河口湖経由だと、笹子隧道経由より20㎞以上遠回りになるってことですね。
しかも御坂峠もかなりの難所。
甲府盆地から首都圏に出るのは、かなり大変だったということですね。


その後、1958年(昭和33年)に新笹子隧道が開通し、それが今現在のR20の新笹子トンネルです。 《MAP
新笹子トンネルというのは通称でしょうか。
トンネルの入り口にある坑門の扁額には「新笹子隧道」と書かれています。
それはともかく、新笹子トンネルの開通で、山梨と首都圏の行き来が飛躍的に改善されました。
もう河口湖経由とかしなくていいわけですから。

ところで、新笹子トンネルは元々は有料道路だったそうです。
大型車が600円、普通車が250円、小型車が150円だったらしいですね。
当時の普通自動車250円というお値段は、今の感覚で言うと、だいたい1000~1500円あたりの価格帯らしいです。 《日銀解説ページから消費者物価指数で概算》
けっこう高いですね?
アクアラインの悪夢が甦りそうですw
かなり収入があったようで、開通して13年後の1971年(昭和46年)に、償還が完了し、無料開放されたそうです。

ちなみに、有料だったってことは、どこかに料金所があったはず。
国土地理院の1974~78年の航空写真を見ると、大月側の入り口手前に料金所の建屋らしきものが写ってます。
1971年には無料化されて役割は終わってますが、撤去されるまでタイムラグがあったんでしょう。
この料金所があった辺りは、いまでも不自然に道幅が広く、当時の名残が感じられます。 《ストリートビュー




長くなりましたので、次行きます。



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同じく笹子隧道の甲州市側の坑門。
大月市側が立派な装飾が施されてるのに対し、こっち側は実に質素。
この差は何でしょうね?
大月側から掘り始め、甲州市側に抜けたころには、予算が尽きてしまったためだと思われますww
それか大月市と甲州市でなにか確執があったとかw
設計担当者が違うとかw
たぶん、疑問に思う人は多いと思いますが、ネットでは、その理由が書かれた情報は見当たりませんでした。




続きます。




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ちなみに、R20の新笹子トンネルは、開通から60年が経過しました。
老朽化が問題となっていることと、高さ3.9mという制限があるということも支障となっているということで、今のトンネルのすぐ西側に並行して新しいトンネルを作る計画があるそうです。 
 → 《国土交通省 甲府河川国道事務所のページ
 → 《新笹子トンネル改修の設計・用地説明会パンフレット
新しいトンネルができたら、今の新笹子トンネルと何か所かで連絡路で接続し、新笹子トンネルを避難路として再活用する計画らしいですね。

新トンネルは歩道も整備してくれる計画らしいので、歩行者や自転車の安全性が飛躍的に向上します。
今の新笹子トンネルを走ったことがある方ならご存知とは思いますが、このトンネルには歩道はありません。
路肩といえる路肩もありません。
大月市と甲州市を徒歩で移動しようとするなら、大型トラックが実質60㎞/hとかでバンバン走ってるところを、3㎞にわたって歩かないといけないのです。
自転車も同じような状況。
実際、僕もこのトンネルをバイクやクルマで走行中に、歩行者や自転車を見たことが何回かあります。
感覚的には自動車専用道路のように錯覚するので、遭遇すると、かなりビビります。
でも、一番怖いのは、もちろん歩行者や自転車です。
どんだけ怖いでしょうね?
僕自身はここを歩いたり自転車で通過することは、今までなかったですし、今後も無いでしょうけど、それでもこれはあまりに危険じゃ・・・と思ってました。
それが改善されるならとても良いことです。
開通はいつなのか分かりませんが、楽しみですね。




( 2019.01.16 ) ( ツーリング ) ( COMMENT:0 )
笹子峠越えツーリング・・・・vol.1
昨年の10月に笹子峠を走ってきました。





峠の頂上には「笹子隧道」があり、登録有形文化財に指定されています。
ここを通るのは久しぶり。




相模湖のあたりからR20を甲府方面に走ってると、右手に火の見櫓があるのに気が付きました。 《MAP
ここは何度も走ってますが、ちょっと奥まったところにあるので、気がついていませんでした。

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踊り場がバルコニーになっていて、見張り台と同じく円形。
屋根は6角形。
踊り場が丸いバルコニーになっているのは、僕が知ってる中では少数派です。

いま、改めて写真をチェックしたところ、銘板がついているようです。 (この写真では写ってませんが)
現場では見落としてました。
写真を拡大すると、「〇〇ポンプ工場」と書いてあるように見えます。
今度、改めて、確認しておきたいです。

※銘板の形から推測して「中村ポンプ工場」では?
 中村ポンプ工場の火の見櫓は、山梨県内で他に2基ほど現物を確認しています。
 さらに、この中村ポンプ工場は、現存している様子。
 社名は「有限会社中村ポンプ工作所」と、ちょっと変わってますが、住所や電話番号
 から見て、同じ会社だと推察できます。





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さらに甲府方面に走り、猿橋のあたりで、もう1基。 《MAP
これは前から気が付いてましたが、交通量の多い場所で、バイクといえど、停めるわけにはいかず、スルーしてました。
今回は脇道に入ってバイクを停めました。

屋根はあっさりした形で、見張り台の手すりも装飾が無く、ブレースもリング式ではなく、L型アングル材を使ったV型。
けっこう新しいものか?、と思いましたが、接合部にはリベットが使われており、イメージしたよりは古そうでした。




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笹子町白野集落にて。 《MAP
背が低いですね。
小高いお立ち台の上に建ってるとはいえ、それでも背が低い印象です。
「小野鉄工所」という銘板がついていましたが、年月日は書いてありませんでした。
自治会館の目の前で、櫓の背後には祠がありました。
集落の中心部に建つという、典型的な立地ですね。




次は西隣の原集落へ。
けっこう立派な公民館の隣に火の見櫓が建ってるそうです。



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R20から原集落に入る入口にある石井工業(株)白野瀝青工場です。
なかなかスタイリッシュだったので、思わず撮ってしまいました。

「瀝青」とはアスファルトのことだそうです。
この工場のことはネットではほとんど分かりませんが、ググるとなぜか唐突に製造品目のリストがヒット。
「〇〇アスファルト混合物」云々とあります。
アスファルト混合物とは、アスファルトに骨材(石)などを混ぜ込んだもので、道路のアスファルト舗装に使うもののようです。
おそらくこの工場は、そのアスファルト混合物を作ってるんでしょうね?

アスファルト混合物の製造・出荷フローは、材料となるアスファルトや骨材を加熱し、計量して混合し、できたアスファルト混合物を保温しながらサイロ(ホットサイロ)に貯蔵し、トラックの荷台にアスファルト混合物を流し込む、というものだそうです。
正面に写ってるのは、たぶんホットサイロと、トラックにアスファルト混合物を積み込む施設でしょうか?
こういう工場って、けっこう好きなので、見学させてもらえるとうれしいです。

ちなみに、アスファルトの歴史は古く、ノアの箱舟に使われたそうです。
旧約聖書の6章の14節に、「あなたは、いとすぎの木で箱舟を造り、箱舟の中にへやを設け、アスファルトでそのうちそとを塗りなさい。」と、神がノアに指示する記述があります。
アスファルトを防水材として使ったんですね。

ちなみに15節以降で、船の長さ・幅・高さを指定したり、3階建てにしろとか、書いてあるようです
けっこう細かいw




今回はここまで。
原集落の火の見櫓と、笹子隧道は次回やりますね。




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( 2019.01.14 ) ( ツーリング ) ( COMMENT:2 )
海尻の道路跨ぎ火の見櫓見学ツーリング・・・・vol.2
前回の続きです。



さて、R299の十石峠から下ってきて、佐久穂でR141に出てきました。
そしてR141を南下。
途中で昼食をとり、さらに南下し、海尻に辿り着きました。
R141から一本外れた通りに、その火の見櫓はありました。



ご覧の通り、道路を跨いで建っております。
そのすぐ先で行き止まりっぽい感じになってる道でした。




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下をくぐるのは、普通のミニバンとかなら大丈夫そうですが、宅配のトラックとかは無理っぽい感じが。

しかし、なぜ、道路を跨がせたのでしょうか?
ぱっと思いつくのは、空き地が無かったから、です。
この辺りは東側を流れる千曲川の川岸になっていて、けっこうな急こう配です。
その急こう配の途中にある細長い平地に家が密集してるので、そんな事情があったのかもしれません。
まあ、勝手な想像ですが。

あと、この火の見櫓は、集落の北端に建ってます。
なぜ、こんな端っこに?
もうちょっと南側に建てたほうが、集落全体を見渡せるのでは?
と思います。
ですが、この火の見櫓のすぐ西側にある、「海尻城跡」という交差点のすぐそばには、商店(閉店?)があって、郵便局(今は移転)があって、医王院というお寺があります。
こういう施設がある場所ってのは、その集落の中心部だったことを伺わせるものです。
地形的には中心ではなくても、何らかの理由で、中心的に近い位置になっていたのかもしれません。
その経緯には、この海尻の集落が、かつて海尻城の城下だったことや、佐久甲州街道の宿場町だったことなども、いろいろ関係してくるかもです。
これも、まあ、勝手な想像ですが・・・。




海尻を後にして、R141を北上してる途中で、左手の高い場所に火の見櫓があるのを発見。 《MAP
さっそく行ってみました。


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これも集落の中心部からは、ちょっと外れた位置にあります。
ただ、崖の縁に建ってるので、崖の下の集落にとっては、半鐘の音がよく聞こえるということで好都合。
しかし、崖の上の集落からすると、どうなのでしょうね?
火の見櫓の立地には、いろいろなパターンがあって、集落全体が見渡せ、駆け付けやすく、音が伝わりやすい、というその集落の中だけの都合だけでなく、隣の集落との連携も考慮し、複数の集落を見渡せて音を伝えやすい立地を選ぶということもあるそうです。
どのポイントに重点を置くかどうかは、その集落の事情によって変わってくると思います。
決定権を持つ幹部たちの思想、県民性なども絡むでしょう。




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R141からぶどう峠に向かう長野県道2号線沿いの火の見櫓です。 《MAP
これは郵便局の脇に建っていて、集落の中心部にあるという典型的な立地です。
この県道2号線と、それに続く124号線沿いの火の見櫓は、僕が見た限りでは、3本脚が多い傾向があるのですが、これは、オーソドックスな4本脚。
これがイレギュラーなのかどうか、もうちょっと丁寧に見ていかないと判断できないかも。
建設時期や製作所が分かれば、その辺の判断に参考になると思いますが、そういう銘板がついた火の見櫓って、僕の数少ない経験の中での話ではありますが、かなり少数派です。
また、銘板がついてても、打刻された年月日がペンキで塗りつぶされてたりして判読できないこともあります。




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上の火の見櫓からちょっと走ったところのお屋敷の庭先に祠が2つ。
見ての通り、造りの違うものが並んでます。
不思議に思ったので、調べてみると、左が平入の神明造り系で、右が妻入りで庇付きの春日造り系
 ※反りが無いので春日造りと言っていいのかどうかは不明
神明造りの代表格は伊勢神宮で、祭神は天照大御神と豊受大御神で、はしょって言えば五穀豊穣の神様を祭る神社。
春日造りの代表格は春日大社で、祭神は春日神(4柱の総称)で、国や民衆の平和を願って祭られたものです。
ざっくり言えば、まあ豊作と家内安全をお祈りするために、祠を2つ並べてあるということでしょうか。

ではさっそく、うちの庭にもこの祠を建てましょう。
さらに金運アップのために、銭洗弁財天も建てたいと思いますw

 






シリーズ終わります。





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ちなみに、千曲川沿い(R141沿い)沿いには、「海」がつく地名が多いですね。
今回訪れた海尻だけでなく、海ノ口、小海、海瀬など。
海のない長野でなぜ?
と思って調べると、小海町HPでいい資料が見つかりました。
 《郷土歴史資料館資料 平安時代の大地変
「小海」の地名の由来が書かれた資料です。

これによると、平安時代の仁和3年(西暦887年)に大地震があって、八ヶ岳の天狗岳と稲子岳が崩れ、土石流が東に流れて千曲川と相木川を堰き止めて「南牧湖」と「小海湖」という天然のダム湖ができたそうです。
これらの湖は今は残ってませんが、「南牧湖」は120年ほど、「小海湖」は600年ほど湖であり続け、「海」の名がつく地名を生んだ元になったと考えられているそうです。
湖は海と違いますよ?、と思ったのですが、「忍野八海」とか、琵琶湖を「淡海」や「近江之海」と読んだり、「海」という言葉には、かつて「湖」の意味も含んでいたようです。

これで、海尻、海ノ口、小海の3か所は、湖との関係で分かるような気がしますが、海瀬はどうでしょう?
海瀬は、ずっと北のほうにあって、「南牧湖」や「小海湖」とは、かなり離れてます。
調べていくと、海瀬は千曲川と支流の抜井川と余地川の合流点の水声が激しかった事に由来するらしいのですが、「瀬」はそれで説明がつくとして、「海」は何?
これ以上は、ネットでは分かりませんでした。

 

 


( 2019.01.08 ) ( ツーリング ) ( COMMENT:0 )
海尻の道路跨ぎ火の見櫓見学ツーリング・・・・vol.1
長野県南佐久郡南牧村の海尻地区に、道路を跨いで建っている、珍しい火の見櫓《MAP》がある、ということで、見に行ってきました。

コースは、秩父からR299で佐久穂に出て、R141をしばらく南下し、海尻に至るというものでした。
昨年の10月の話ですが、ご容赦ください。

その火の見櫓は次回にやるとして、今回はそこに行く途中の景色です。



R299の道の駅上野のちょっと手前に火の見櫓があります。 《MAP
丸い屋根に蕨手が付く珍しい形です。
モノクロなので色は伝わりませんが、錆止めの赤い塗装です。
赤いのは静岡県で見たことがありますが、この辺りでは見たことないです。

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観音寺というお寺の参道脇に建ってて、こうして石仏が一緒に並んでます。
火の見櫓は、その集落の一等地に建ってることが多く、なかなか絵になります。



上野村からさらにR299を長野方面に走り、十石峠を越えて下りて行ったところにある営林署跡らしき建物に立ち寄りました。 《MAP

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この建物は2年前の夏にも見学しました。 《記事
やかんの写真にご注目ください。
お玉が増えてます。
誰かがさわったのでしょう。
やかんとか、持ち去られてもおかしくはないような気もしますが、2年経ってもそのままになってます。
かくなる上は、1000年後もこのままであってほしいですね。



さらに下って行くと、長福寺古谷スポーツセンターという名前のついた広場に、火の見櫓が建っています。 《MAP

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「長福寺」とは名前がついてますが、それらしき建物はありません。
道路の反対側に空き地があって、写真にもちょろっと写ってますが、仏塔が放置されてます。
長福寺の跡かもしれませんね。
それか、この広場がお寺の境内だった可能性も高いです。
ネットで調べた範囲では、長福寺のその後は分かりませんでした。




続く。

タイトルの海尻の火の見櫓は、次回やります。



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( 2019.01.05 ) ( ツーリング ) ( COMMENT:0 )