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富士みち / R139
去年秋のツーリングです。

道志路から道坂峠を越えて都留へ。
都留からはR139で大月へ。
大月からR20で勝沼へ。
勝沼からフルーツラインでR411に出て、奥多摩周遊を経て上野原、というコースです。






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都留市の下小野地区の火の見櫓です。 《MAP
小屋の背後に建ってて、狭い隙間を通って辿り着く感じになります。
足場もよくないです。
火の見櫓は、道路からのアクセスの良さが優先されることが多いので、これはたぶん少数派。
道路と川に挟まれた狭い土地で、自由度が無かったのでしょう。



都留でR139に乗りました。
R139は「富士みち」とも呼ばれ、江戸中期以降から盛んになった「富士講」の参詣コースの一つでした。
R20甲州街道の大月から枝分かれし、富士吉田の北口本宮冨士浅間神社に至るまでの約23㎞の街道です。

「富士講」は明治以降に廃れましたが、この富士みちは、主要な街道としての役割を担っておりました。
以前、笹子隧道について記事を書きましたが、その中で言及したように、富士みち(R139)は、新笹子隧道(現R20の笹子トンネル)が1958年(昭和33年)に開通するまでは、甲府盆地以西と首都圏を繋ぐ物流の主要ルートでしたから、交通量は少なくなかったと思われます。
そのせいか、この富士みち沿いは、往年のものらしき建物が目立ちます。



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この「理容オマタ」さんも、そんな建物の一つ。 《MAP
このお店、現役で営業してました。



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隣にある、ナショナルパナカラーも良い感じ。




ところで、「理容オマタ」の右隣に、かつて、素晴らしい物件がありました。
それがこれ。
ストリートビューです。

2019_0128壽美屋百貨店(現存せず)

壽美屋百貨店です。
これはぜひ見たかったのですが、時すでに遅し、既に更地になってました。
ストリートビューで、見る角度によっては、今でもまだ写ってるんですが、写ってるアングルの撮影日を見ると2014年9月になってます。
別の角度のストリートビュー(2018年8月撮影)では、更地になってるのか確認できるので、この間のどこかで取り壊されてしまったんでしょうね。
残念です。



この富士みち(R139)沿いは、見ごたえのある建物が点在してます。
いずれ、ちゃんと見て回りたいですね。
しかし、難点は駐車スペースが無いこと。
バイクですら難しいです。
事前に、駐車スペースまで検討した計画をたてて動かないと、上手く撮れないと思います。
春になったら考えたいですね。




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都留市駅にて。
悪書追放の白ポストが健在。
かつて過激な悪書追放運動によって、手塚治虫ですら標的になったとか。
今やアレな画像は、ネットで見る時代らしいですから、このような白ポストは、8割がた役割は終えたかな、と思います。
まだコンビニの成人雑誌が残ってますが、最近のニュースでは、セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートは、今年8月末までに取り扱いをやめるそうですし、ミニストップでは2018年からすでに取り扱いを停止しているそうです。





大月からはR20を勝沼方面に走り、勝沼からはフルーツラインを北上。



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塩山の道の駅で、昼飯タイム。




ここからは、R411(青梅街道)で柳沢峠を越え、奥多摩湖方面へ。
そして奥多摩周遊道路を通って、上野原へ。




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上野原の手前のコンビニで、休憩。
手洗いをお借りしたので、何か買おうと思ったのですが、何も見当たらず、悩んで手に取ったのはこれ。
以前ならタバコを買ってましたが、もう禁煙しました。
あと、レッドブルとかモンスターエナジーなどのエナジードリンクがあれば買いますが、ここでは扱ってないようです。





そして、バイク屋に立ち寄ってオイル交換をしてから帰宅しましたのでした。




終わり。




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( 2019.01.28 ) ( 街・集落 ) ( COMMENT:2 )
笹子峠越えツーリング・・・・vol.4
前回の続きです。



三富下荻原集落をさらに探索。


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DIYっぽい小屋ですね。
大工さんが作ったとは思えません。
しかし、かといって、そこらの素人がこんな丸太を組めるとも思えないですが?
でも、「DIY、小屋」でググると、けっこう出てくるので、やる人はやるのかもです。





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この写真の中で、最も新しいのは、電柱です。
それ以外は、少なくとも60年くらいは経ってそうです。
壁にかかってる、庭師が使うような脚立?も、こんな旧式見たことないですよ。





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道祖神。
電車にすし詰めのような6人衆の道祖神は、通勤の安全を見守る神です。
満員電車で痴漢と間違えられたりしないように見守ってくれるのです。
丸いのは、丸石神と呼ばれる、山梨独特の道祖神。
県下に700基くらいあるという話もあるそうです。

南米コスタリカにも謎の石球の遺跡があって、そっちは世界遺産になってるそうです。
 ディキスの石球のある先コロンブス期首長制集落群 
たぶん、丸石神のパクリですw





シリーズ終わります。





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( 2019.01.23 ) ( 街・集落 ) ( COMMENT:0 )
笹子峠越えツーリング・・・・vol.3
前回の続きです。



笹子峠を無事に超え、R20に復帰しました。
そして勝沼からフルーツラインで北上し、R140に出て、雁坂トンネル方面に北上。
この先にある、行きつけの食事処に向かうつもりでしたが、その手前で、右手に集落が潜んでるのに気が付きました。
三富下荻原集落です。



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火の見櫓がありました。
軒先の装飾は隅角(すみづの)。
頂部の装飾も、さっき見た、笹子町原集落の火の見櫓と似ています。
同じ鉄工所が手掛けたものでしょうか?
隅角は割と珍しいので、そういうこともあり得るかもですが、手摺の装飾や、脚の補強の入れ方、梯子の取り回し、踊り場の手すりの有無、などは違います。
だから別の鉄工所だ、と言えるのか、それとも同じ鉄工所だけどバリエーションをつけるためにあえて違う形にした、なのかは分かりません。
僕の直感では、脚の補強の入れ方や、梯子の取り回しに関しては、合理性が求められる部分ですので、同じ鉄工所であれば、あまりバリエーションをつける部分ではないかなという気がします。
なので、別の鉄工所だろうと想像します。



この集落は昔はどんな感じだったのでしょうか。


※この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」のサービスです。
 埼玉大学教育学部の谷謙二准教授(人文地理学研究室)によるものです。
 地図好きにはたまらないサービスですね。


左画面は昭和55年頃の地図で、右画面は最新の地図です。
昔のメインストリート(秩父往還)は、集落の東側の川沿いを通っていたんですね。
今のR140は、集落の西側に付け替えられています。
道をなるべくまっすぐにするためでしょうかね。
このR140から見て、集落は一段下がった位置にあって、意外に気が付きにくいです。
R140からは、R140に近くて大きなお屋敷は屋根が散発的に見えますが、R140から離れた小さめの家は見えません。
なので、今まで気がついていませんでした。
改めて、このR140沿いを地図で見ると、集落の宝庫。
丁寧に見ていくと、きりがないくらいあります。
春になったら、このあたり、集中的に見て回りたいですね。



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プロパンガスの圧力計でしょうか?
ゼロになってるのが空き家であることを物語っております。




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立派なお屋敷が密集してました。
いったいどんだけ稼いだら、こんなお屋敷が建つのでしょうか?
この辺りは、養蚕が盛んだったらしいですね。
越屋根や突上げ屋根という、養蚕農家の造りをしている家が多数。
養蚕は1930年代にピークを迎えたそうですが、具体的に年収幾らとか、そういうデータを探してみたのですが、ネットでは出てきませんでした。
でも、これらのお屋敷を見る限り、ちょっと小金持ちとかのレベルじゃないのは明らかです。
僕が△☆◎ス・〇ーン並みにお金持ちになったら、こんな家を建てたいと思いますw





続きます。




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( 2019.01.19 ) ( 街・集落 ) ( COMMENT:0 )
笹子峠越えツーリング・・・・vol.2
前回の続きです。


R20から一本外れた脇道に入っていきました。
原集落です。



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原公民館と、火の見櫓です。 《MAP
なかなか魅力的な取り合わせですね。

火の見櫓は現地では気が付きませんでしたが、後から知った話だと、銘板がついてて、昭和29年のものだということと寄進者の名前が書いてあるらしいです。
銘板? 付いてましたっけ?
と思って写真を見返すと、たしかに正面についてるじゃないですか。
見落としてたのです。
前回の記事で書いた、鳥沢の火の見櫓と同じく、次回はちゃんと確認してくるつもりです。

この火の見櫓は、特に変わったところはないのですが、屋根の軒先の装飾がちょっと珍しめ。
今まで見てきた中では、そもそも装飾が無いか、ある場合は「蕨手」(わらびて)という、くるっと巻いた装飾がついてるパターンが多いです。
蕨手は、よくお神輿の屋根の軒先についてることが多いです。
しかし、この火の見櫓は軒先が角のようになってます。
お寺の屋根とかで見かける形なので、寺社建築の用語の解説をネットで調べた結果、どうも「隅角」(すみづの)と呼ぶようです。




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原公民館から少し西に行くと、もう一本、火の見櫓がありました。 《MAP
銘板がついていて、平成2年に渋沢鉄工所が作ったものだと分かりました。
平成2年??
今残ってる火の見櫓の多くは、昭和30年代に建てられたものが多いそうなので、その建設ラッシュから20~30年ほど後ということになります。
法的な設置義務はないはずですから、たぶん自主的に建てられたものだと思います。
リング式ブレースや屋根の風向計や蕨手風の装飾など、あえて昔風の意匠を意図的に採用しています。
また、半鐘まで付いてます。
法的義務はないですから、建設費の補助などもないでしょう。
費用はおそらく、住民もしくはゆかりの方、それから地元の企業などからの寄付によって賄われたと思われます。
何か強い意志をもって建てられたものだと感じられました。
どういう経緯や想い入れがあったのか、お話を伺ってみたい気がしました。




集落を後にし、R20をさらに西へ。
笹子トンネルの手前でR20を外れ、山道に入っていきます。


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ちょっと走ったところで、この物件に遭遇。
ネットではこのバスそのものについての情報は見当たりませんでしたが、カラーリングなどから見て、山梨交通が昭和50年代に導入した、いすゞのバスらしいです。




さらに峠道を上っていきます。




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笹子隧道に到着。
写真は大月市側の坑門。
登録有形文化財になっています。





この笹子隧道は、1938年(昭和13年)に開通し、その後1952年(昭和27年)に国道20号線に指定されたそうですが、ここに至るまでの道路が狭くて曲がりくねっており、このトンネルも幅が3mしかなく、まとまった交通量をさばけるようなものではなかったそうです。
それはこの写真を見ても明らか。
幅3mではクルマ同士のすれ違いは無理。
軽自動車とバイクなら何とかなるかなというレベル。
なので、当時は山梨から首都圏に出ようとすると、御坂峠を超え、河口湖に出て、そこから大月に出るという、かなりの大回りコースがメインだったそうです。


試しに、甲府駅前から八王子駅前までのルートで比較してみましょう。



これが、河口湖経由ルート。
距離は121㎞あります。
御坂峠もけっこうな難所ですね。
御坂隧道は幅5.5m。
トラックと普通自動車なら、ぎりぎりですれ違えるでしょうか。





こっちは笹子隧道ルート。
距離は98.7㎞。



ということで、御坂峠越えの河口湖経由だと、笹子隧道経由より20㎞以上遠回りになるってことですね。
しかも御坂峠もかなりの難所。
甲府盆地から首都圏に出るのは、かなり大変だったということですね。


その後、1958年(昭和33年)に新笹子隧道が開通し、それが今現在のR20の新笹子トンネルです。 《MAP
新笹子トンネルというのは通称でしょうか。
トンネルの入り口にある坑門の扁額には「新笹子隧道」と書かれています。
それはともかく、新笹子トンネルの開通で、山梨と首都圏の行き来が飛躍的に改善されました。
もう河口湖経由とかしなくていいわけですから。

ところで、新笹子トンネルは元々は有料道路だったそうです。
大型車が600円、普通車が250円、小型車が150円だったらしいですね。
当時の普通自動車250円というお値段は、今の感覚で言うと、だいたい1000~1500円あたりの価格帯らしいです。 《日銀解説ページから消費者物価指数で概算》
けっこう高いですね?
アクアラインの悪夢が甦りそうですw
かなり収入があったようで、開通して13年後の1971年(昭和46年)に、償還が完了し、無料開放されたそうです。

ちなみに、有料だったってことは、どこかに料金所があったはず。
国土地理院の1974~78年の航空写真を見ると、大月側の入り口手前に料金所の建屋らしきものが写ってます。
1971年には無料化されて役割は終わってますが、撤去されるまでタイムラグがあったんでしょう。
この料金所があった辺りは、いまでも不自然に道幅が広く、当時の名残が感じられます。 《ストリートビュー




長くなりましたので、次行きます。



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同じく笹子隧道の甲州市側の坑門。
大月市側が立派な装飾が施されてるのに対し、こっち側は実に質素。
この差は何でしょうね?
大月側から掘り始め、甲州市側に抜けたころには、予算が尽きてしまったためだと思われますww
それか大月市と甲州市でなにか確執があったとかw
設計担当者が違うとかw
たぶん、疑問に思う人は多いと思いますが、ネットでは、その理由が書かれた情報は見当たりませんでした。




続きます。




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ちなみに、R20の新笹子トンネルは、開通から60年が経過しました。
老朽化が問題となっていることと、高さ3.9mという制限があるということも支障となっているということで、今のトンネルのすぐ西側に並行して新しいトンネルを作る計画があるそうです。 
 → 《国土交通省 甲府河川国道事務所のページ
 → 《新笹子トンネル改修の設計・用地説明会パンフレット
新しいトンネルができたら、今の新笹子トンネルと何か所かで連絡路で接続し、新笹子トンネルを避難路として再活用する計画らしいですね。

新トンネルは歩道も整備してくれる計画らしいので、歩行者や自転車の安全性が飛躍的に向上します。
今の新笹子トンネルを走ったことがある方ならご存知とは思いますが、このトンネルには歩道はありません。
路肩といえる路肩もありません。
大月市と甲州市を徒歩で移動しようとするなら、大型トラックが実質60㎞/hとかでバンバン走ってるところを、3㎞にわたって歩かないといけないのです。
自転車も同じような状況。
実際、僕もこのトンネルをバイクやクルマで走行中に、歩行者や自転車を見たことが何回かあります。
感覚的には自動車専用道路のように錯覚するので、遭遇すると、かなりビビります。
でも、一番怖いのは、もちろん歩行者や自転車です。
どんだけ怖いでしょうね?
僕自身はここを歩いたり自転車で通過することは、今までなかったですし、今後も無いでしょうけど、それでもこれはあまりに危険じゃ・・・と思ってました。
それが改善されるならとても良いことです。
開通はいつなのか分かりませんが、楽しみですね。




( 2019.01.16 ) ( ツーリング ) ( COMMENT:0 )
笹子峠越えツーリング・・・・vol.1
昨年の10月に笹子峠を走ってきました。





峠の頂上には「笹子隧道」があり、登録有形文化財に指定されています。
ここを通るのは久しぶり。




相模湖のあたりからR20を甲府方面に走ってると、右手に火の見櫓があるのに気が付きました。 《MAP
ここは何度も走ってますが、ちょっと奥まったところにあるので、気がついていませんでした。

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踊り場がバルコニーになっていて、見張り台と同じく円形。
屋根は6角形。
踊り場が丸いバルコニーになっているのは、僕が知ってる中では少数派です。

いま、改めて写真をチェックしたところ、銘板がついているようです。 (この写真では写ってませんが)
現場では見落としてました。
写真を拡大すると、「〇〇ポンプ工場」と書いてあるように見えます。
今度、改めて、確認しておきたいです。

※銘板の形から推測して「中村ポンプ工場」では?
 中村ポンプ工場の火の見櫓は、山梨県内で他に2基ほど現物を確認しています。
 さらに、この中村ポンプ工場は、現存している様子。
 社名は「有限会社中村ポンプ工作所」と、ちょっと変わってますが、住所や電話番号
 から見て、同じ会社だと推察できます。





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さらに甲府方面に走り、猿橋のあたりで、もう1基。 《MAP
これは前から気が付いてましたが、交通量の多い場所で、バイクといえど、停めるわけにはいかず、スルーしてました。
今回は脇道に入ってバイクを停めました。

屋根はあっさりした形で、見張り台の手すりも装飾が無く、ブレースもリング式ではなく、L型アングル材を使ったV型。
けっこう新しいものか?、と思いましたが、接合部にはリベットが使われており、イメージしたよりは古そうでした。




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笹子町白野集落にて。 《MAP
背が低いですね。
小高いお立ち台の上に建ってるとはいえ、それでも背が低い印象です。
「小野鉄工所」という銘板がついていましたが、年月日は書いてありませんでした。
自治会館の目の前で、櫓の背後には祠がありました。
集落の中心部に建つという、典型的な立地ですね。




次は西隣の原集落へ。
けっこう立派な公民館の隣に火の見櫓が建ってるそうです。



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R20から原集落に入る入口にある石井工業(株)白野瀝青工場です。
なかなかスタイリッシュだったので、思わず撮ってしまいました。

「瀝青」とはアスファルトのことだそうです。
この工場のことはネットではほとんど分かりませんが、ググるとなぜか唐突に製造品目のリストがヒット。
「〇〇アスファルト混合物」云々とあります。
アスファルト混合物とは、アスファルトに骨材(石)などを混ぜ込んだもので、道路のアスファルト舗装に使うもののようです。
おそらくこの工場は、そのアスファルト混合物を作ってるんでしょうね?

アスファルト混合物の製造・出荷フローは、材料となるアスファルトや骨材を加熱し、計量して混合し、できたアスファルト混合物を保温しながらサイロ(ホットサイロ)に貯蔵し、トラックの荷台にアスファルト混合物を流し込む、というものだそうです。
正面に写ってるのは、たぶんホットサイロと、トラックにアスファルト混合物を積み込む施設でしょうか?
こういう工場って、けっこう好きなので、見学させてもらえるとうれしいです。

ちなみに、アスファルトの歴史は古く、ノアの箱舟に使われたそうです。
旧約聖書の6章の14節に、「あなたは、いとすぎの木で箱舟を造り、箱舟の中にへやを設け、アスファルトでそのうちそとを塗りなさい。」と、神がノアに指示する記述があります。
アスファルトを防水材として使ったんですね。

ちなみに15節以降で、船の長さ・幅・高さを指定したり、3階建てにしろとか、書いてあるようです
けっこう細かいw




今回はここまで。
原集落の火の見櫓と、笹子隧道は次回やりますね。




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( 2019.01.14 ) ( ツーリング ) ( COMMENT:2 )
海尻の道路跨ぎ火の見櫓見学ツーリング・・・・vol.2
前回の続きです。



さて、R299の十石峠から下ってきて、佐久穂でR141に出てきました。
そしてR141を南下。
途中で昼食をとり、さらに南下し、海尻に辿り着きました。
R141から一本外れた通りに、その火の見櫓はありました。



ご覧の通り、道路を跨いで建っております。
そのすぐ先で行き止まりっぽい感じになってる道でした。




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下をくぐるのは、普通のミニバンとかなら大丈夫そうですが、宅配のトラックとかは無理っぽい感じが。

しかし、なぜ、道路を跨がせたのでしょうか?
ぱっと思いつくのは、空き地が無かったから、です。
この辺りは東側を流れる千曲川の川岸になっていて、けっこうな急こう配です。
その急こう配の途中にある細長い平地に家が密集してるので、そんな事情があったのかもしれません。
まあ、勝手な想像ですが。

あと、この火の見櫓は、集落の北端に建ってます。
なぜ、こんな端っこに?
もうちょっと南側に建てたほうが、集落全体を見渡せるのでは?
と思います。
ですが、この火の見櫓のすぐ西側にある、「海尻城跡」という交差点のすぐそばには、商店(閉店?)があって、郵便局(今は移転)があって、医王院というお寺があります。
こういう施設がある場所ってのは、その集落の中心部だったことを伺わせるものです。
地形的には中心ではなくても、何らかの理由で、中心的に近い位置になっていたのかもしれません。
その経緯には、この海尻の集落が、かつて海尻城の城下だったことや、佐久甲州街道の宿場町だったことなども、いろいろ関係してくるかもです。
これも、まあ、勝手な想像ですが・・・。




海尻を後にして、R141を北上してる途中で、左手の高い場所に火の見櫓があるのを発見。 《MAP
さっそく行ってみました。


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これも集落の中心部からは、ちょっと外れた位置にあります。
ただ、崖の縁に建ってるので、崖の下の集落にとっては、半鐘の音がよく聞こえるということで好都合。
しかし、崖の上の集落からすると、どうなのでしょうね?
火の見櫓の立地には、いろいろなパターンがあって、集落全体が見渡せ、駆け付けやすく、音が伝わりやすい、というその集落の中だけの都合だけでなく、隣の集落との連携も考慮し、複数の集落を見渡せて音を伝えやすい立地を選ぶということもあるそうです。
どのポイントに重点を置くかどうかは、その集落の事情によって変わってくると思います。
決定権を持つ幹部たちの思想、県民性なども絡むでしょう。




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R141からぶどう峠に向かう長野県道2号線沿いの火の見櫓です。 《MAP
これは郵便局の脇に建っていて、集落の中心部にあるという典型的な立地です。
この県道2号線と、それに続く124号線沿いの火の見櫓は、僕が見た限りでは、3本脚が多い傾向があるのですが、これは、オーソドックスな4本脚。
これがイレギュラーなのかどうか、もうちょっと丁寧に見ていかないと判断できないかも。
建設時期や製作所が分かれば、その辺の判断に参考になると思いますが、そういう銘板がついた火の見櫓って、僕の数少ない経験の中での話ではありますが、かなり少数派です。
また、銘板がついてても、打刻された年月日がペンキで塗りつぶされてたりして判読できないこともあります。




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上の火の見櫓からちょっと走ったところのお屋敷の庭先に祠が2つ。
見ての通り、造りの違うものが並んでます。
不思議に思ったので、調べてみると、左が平入の神明造り系で、右が妻入りで庇付きの春日造り系
 ※反りが無いので春日造りと言っていいのかどうかは不明
神明造りの代表格は伊勢神宮で、祭神は天照大御神と豊受大御神で、はしょって言えば五穀豊穣の神様を祭る神社。
春日造りの代表格は春日大社で、祭神は春日神(4柱の総称)で、国や民衆の平和を願って祭られたものです。
ざっくり言えば、まあ豊作と家内安全をお祈りするために、祠を2つ並べてあるということでしょうか。

ではさっそく、うちの庭にもこの祠を建てましょう。
さらに金運アップのために、銭洗弁財天も建てたいと思いますw

 






シリーズ終わります。





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ちなみに、千曲川沿い(R141沿い)沿いには、「海」がつく地名が多いですね。
今回訪れた海尻だけでなく、海ノ口、小海、海瀬など。
海のない長野でなぜ?
と思って調べると、小海町HPでいい資料が見つかりました。
 《郷土歴史資料館資料 平安時代の大地変
「小海」の地名の由来が書かれた資料です。

これによると、平安時代の仁和3年(西暦887年)に大地震があって、八ヶ岳の天狗岳と稲子岳が崩れ、土石流が東に流れて千曲川と相木川を堰き止めて「南牧湖」と「小海湖」という天然のダム湖ができたそうです。
これらの湖は今は残ってませんが、「南牧湖」は120年ほど、「小海湖」は600年ほど湖であり続け、「海」の名がつく地名を生んだ元になったと考えられているそうです。
湖は海と違いますよ?、と思ったのですが、「忍野八海」とか、琵琶湖を「淡海」や「近江之海」と読んだり、「海」という言葉には、かつて「湖」の意味も含んでいたようです。

これで、海尻、海ノ口、小海の3か所は、湖との関係で分かるような気がしますが、海瀬はどうでしょう?
海瀬は、ずっと北のほうにあって、「南牧湖」や「小海湖」とは、かなり離れてます。
調べていくと、海瀬は千曲川と支流の抜井川と余地川の合流点の水声が激しかった事に由来するらしいのですが、「瀬」はそれで説明がつくとして、「海」は何?
これ以上は、ネットでは分かりませんでした。

 

 


( 2019.01.08 ) ( ツーリング ) ( COMMENT:0 )
海尻の道路跨ぎ火の見櫓見学ツーリング・・・・vol.1
長野県南佐久郡南牧村の海尻地区に、道路を跨いで建っている、珍しい火の見櫓《MAP》がある、ということで、見に行ってきました。

コースは、秩父からR299で佐久穂に出て、R141をしばらく南下し、海尻に至るというものでした。
昨年の10月の話ですが、ご容赦ください。

その火の見櫓は次回にやるとして、今回はそこに行く途中の景色です。



R299の道の駅上野のちょっと手前に火の見櫓があります。 《MAP
丸い屋根に蕨手が付く珍しい形です。
モノクロなので色は伝わりませんが、錆止めの赤い塗装です。
赤いのは静岡県で見たことがありますが、この辺りでは見たことないです。

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観音寺というお寺の参道脇に建ってて、こうして石仏が一緒に並んでます。
火の見櫓は、その集落の一等地に建ってることが多く、なかなか絵になります。



上野村からさらにR299を長野方面に走り、十石峠を越えて下りて行ったところにある営林署跡らしき建物に立ち寄りました。 《MAP

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この建物は2年前の夏にも見学しました。 《記事
やかんの写真にご注目ください。
お玉が増えてます。
誰かがさわったのでしょう。
やかんとか、持ち去られてもおかしくはないような気もしますが、2年経ってもそのままになってます。
かくなる上は、1000年後もこのままであってほしいですね。



さらに下って行くと、長福寺古谷スポーツセンターという名前のついた広場に、火の見櫓が建っています。 《MAP

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「長福寺」とは名前がついてますが、それらしき建物はありません。
道路の反対側に空き地があって、写真にもちょろっと写ってますが、仏塔が放置されてます。
長福寺の跡かもしれませんね。
それか、この広場がお寺の境内だった可能性も高いです。
ネットで調べた範囲では、長福寺のその後は分かりませんでした。




続く。

タイトルの海尻の火の見櫓は、次回やります。



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( 2019.01.05 ) ( ツーリング ) ( COMMENT:0 )
@新宿
年末29日から、左の股関節が激痛でした。

直立するのは大丈夫。
脚を後ろにやるのも大丈夫。

しかし、前方向がほとんど駄目。
直立姿勢から前に20度くらいまでが限度です。
それ以上は、激痛。

ベッドに出入りするとき、椅子やトイレに座るとき、浴槽に漬かるときは、普通は90度くらいまで曲げます。
それができないっていうんですから、大変。

服を脱ぐのも着るのも困難なので、5日間着の身着のままで風呂もシャワーも無し。
地獄の5日間を半泣きで過ごしました。


そんな年末年始でした。
今はもう大丈夫です。




2018_1009_新宿_GRII_DPP4_011

新宿3丁目の交差点にて。



遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。




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( 2019.01.04 ) ( 街・集落 ) ( COMMENT:2 )